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ファドゥーツについてと阪本工営
こんにちは。「阪本工営の観光地ブログ」です。
今日もよろしくお願いします。
今回阪本工営スタッフがお話するのは、ファドゥーツについて。
ファドゥーツ(標準ドイツ語:Vaduz [faˈduːʦ]、アレマン語:Vadoz ファードーツ)は、リヒテンシュタインの首都ですね。ファドゥツ[faˈdʊʦ]とも発音されていて、英語では“バーダウズ”または“バードーズ”とも呼ばれるのだとか。
同国中部のライン川上流右岸にあり、スイスとの国境に近いんだそう。北緯47度8分、東経9度30分の地点にあり、レティコン山塊の北西麓にある観光の中心地で、美術館のほか16世紀からの城もあるとのこと。
住民のほとんどがドイツ系アレマン人で、人口は5,100人(2009年)。隣接するシャーンの方が人口は多いみたいですね。
13世紀に街が作られたと言われるようです。1322年に城が造られたようですが、1499年にアレマン系のスイス人による略奪が起こり、17世紀に入るとリヒテンシュタイン家は、帝国議会における議席の条件となる所領を求め、1699年にはシェレンベルク男爵領を、1712年には隣接するファドゥーツ伯領を購入したとのこと。この2つの隣接した所領は1719年、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝・カール6世によって神聖ローマ帝国に属する領邦国家に公認され、リヒテンシュタイン公アントン・フローリアンにちなんで命名されたんだとか。1938年、ヨーゼフ2世がファドゥーツの城に移り、ここが公国の首都に定められたんだとか。
機械式計算機メーカーのクルタ計算機(Contina AG Mauren)の製造は、この都市で行われたようですね。
ファドゥーツ、写真を見る限り、のどかでいいところそうです。では今日はこのへんで。阪本工営でした。



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パラッツォ・レアーレ・ディ・ナーポリについてと阪本工営
こんにちは。阪本工営です。
今日はパラッツォ・レアーレ・ディ・ナーポリについて、阪本工営スタッフが調べたことをお話させていただきます。よろしくお願いします。
パラッツォ・レアーレ・ディ・ナーポリ(Palazzo Reale di Napoli)は、ナポリにある、かつてナポリ王位や両シチリア王位についていたブルボン家の王宮だそうですね。他に同国の王宮と呼ばれるものは、カゼルタ宮殿とカポディモンテ宮殿(現在はカポディモンテ博物館)、ポルティチ宮殿(現在はナポリ大学農学部校舎)だそう。
初期の王宮はスペイン王フェリペ3世の居城であったそうですが、彼は一度もここを訪れなかったとのこと。宮殿の建築家にはドメニコ・フォンターナが選ばれたみたいですね。建物は、16世紀初頭からスペイン副王の古い住居があった場所に建てられたとのこと。18世紀に入ると、宮廷は内陸にあって海からの攻撃が及ばないカゼルタ宮殿に移ったようです。
今日見られるのは17世紀に建築された宮殿だそうが、多くの追加や変化があるみたいですね。18世紀半ばのルイージ・ヴァンヴィテッリと、宮殿が火事で損傷した後に1838年にガエターノ・ジェノヴェーゼが加えた補修などがそうなのだとか。加えて、第二次世界大戦中の爆撃で受けた損傷により改修されているとのこと。建物の西ファサード(プレビシート広場に面す)は、12世紀にナポリ王国を建国した際からの代々の王の像が展示されているようですね。ルッジェーロ2世、フェデリーコ2世(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)、カルロ1世、アルフォンソ1世(アラゴン王アルフォンソ5世)、カルロ2世(神聖ローマ皇帝カール5世)、カルロ3世(スペイン王カルロス3世)、ジョアッキーノ1世(ジョアシャン・ミュラ)、初代イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世らの像がそれだそうです。
現在の王宮と隣接した館は、サン・カルロ劇場、美術館、ナポリ国立図書館、ナポリ地方観光局を含む官公庁の庁舎として使用されているんだとか。
パラッツォ・レアーレ・ディ・ナーポリ、見てみたいですね。
では今回はこのへんで。阪本工営でした。



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鷲の巣古城街道についてと阪本工営
こんにちは。「阪本工営の観光地ブログ」です。
今日もよろしくお願いします。今回は鷲の巣古城街道について、阪本工営スタッフが調べたことをお話させていただきますね。
鷲の巣古城街道(鷲の巣街道、ポーランド語Szlak Orlich Gniazd)はチェンストホーヴァとクラクフの間を結ぶポーランド南西部の古城街道で、この観光ルートは中世の25の古城を結んでいるそうです。この街道はクラクフのヤギェウォ大学の経済学部教授で観光学を専門としていたカジミェシュ・ソスノフスキ(1875-1954)の発案で整備されたのだとか。
ドイツからチェコにつながっている「ドイツ古城街道」のルートは「鷲の巣古城街道」の近くまで来てはいるが、この両者は接続はしていないとのこと。
25の城を巡るこの街道はポーランドで最も人気のある観光街道で、全長は163kmあるそうですね(自転車用ルートは全長188km)。この街道一帯の多くの地域は1980年より「鷲の巣景観公園」として自然や景観の保護が行われているのだそう。
街道上の城は廃墟になっているものも多いようですが、一見は廃墟でも内部が綺麗に改装されて博物館、ホテル、レストラン、カフェ、劇場などとして営業しているものもあり、結婚式などのパーティーで使われることも多いんだとか。所有者の旧シュラフタ(シュラフタとはポーランド貴族のこと、ポーランドでは貴族制度は1918年に廃止)や自治体が民間の運営業者に貸し出してホテルや飲食店などの営業を行っていることが多いようです。
この鷲の巣街道よりもさらに東方数百キロのはるか遠くウクライナ西部地域までも山地に沿って旧ポーランド王国の中世の古城が建ち並んでいますが、それらはまだ鷲の巣街道とつながった観光ルートが整備されておらず、それぞれの城ごとに保存・整備されているんだとか。
鷲の巣古城街道、行ってみたいですね。
では今日はこのへんで。失礼します。阪本工営スタッフでした。

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カイロについてと阪本工営
こんにちは。阪本工営です。今日もよろしくお願いします。
今回は、カイロについて調べてみました。
カイロ(アラビア語: القاهرة‎, al-Qāhira, アル・カーヒラ、英語: Cairo)は、エジプトの首都ですね。アフリカ、アラブ世界で最も人口の多い都市であり、その地域を代表する世界都市の一つとされています。アラブ連盟の本部所在地でもあり、アラブ文化圏の中心都市であるとのこと。
ナイル川下流河畔の交通の要衝として、中世に建設されてより現在にいたるまで長い時代を通じ、イスラム世界の学術・文化・経済の中心都市でありつづけたそうです。近郊を含む都市的地域の人口は1729万人で、世界第11位とのこと。2012年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第50位の都市と評価されており、アフリカの都市としては第1位だったみたいですね。またプライスウォーターハウスクーパースが公表した調査によると、カイロの2008年の都市GDPは1450億ドルで、世界第42位、アフリカでは第1位だったそうです。
エジプトの乾燥した大地にナイル川が形作った肥沃なデルタ地帯のほぼ中央、要に位置し、イスラム帝国が7世紀にエジプトを征服したとき、征服者アラブ人の住まう軍営都市(ミスル)が置かれて以来のエジプトの首府とのこと。
日本語でよく知られる都市名のカイロは、英語名の Cairo に由来していて、現地語であるアラビア語ではカーヒラ(القاهرة ; al-Qāhira、現代エジプト方言ではカーヘラ)というそうですね。しかし、現在でもミスル(مصر ; Miṣr、現代エジプト方言ではマスル。もともとは「エジプト」を意味する呼称)という通称がよく用いられているのだとか。
カイロの中心市街はナイル川の右岸、東側に位置するそうです。ナイルをはさんで対岸の西郊には、ピラミッドで有名なギーザの町があるようですね。町の南は古代エジプトの中心都市のひとつ、メンフィスとのこと。
カイロはアラビア語圏最大の都市で、音楽や文学などの文化のアラブ圏での中心ともなっているようです。カイロは多くの文学作品の舞台ともなっていて、特にアラブ圏初のノーベル文学賞を受賞したナギーブ・マフフーズは自らもカイロの下町出身で、代表作である「バイナル・カスライン」からはじまる「カイロ三部作」をはじめとする、カイロを舞台として庶民の姿を描いた多くの作品を執筆したそうですね。音楽の中心もカイロで、東方の星といわれた大歌手ウンム・クルスームをはじめとして、多くの歌手がカイロで活動し、他のアラブ諸国からも多くの歌手がカイロへとやってきて、ここでの活動で全アラブ的な人気を獲得し、スターダムにのし上がっていったそうです。カイロはアラブ圏の映画の中心地でもあり、毎年11月から12月にかけてカイロ国際映画祭もおこなわれるそうですね。
カイロ、賑やかそうなところですね。
阪本工営スタッフも是非行ってみたいです。



阪本工営が日本の有名な建築物などを考察するブログ
阪本工営が建築士試験について考察するブログです。
西安市についてと阪本工営
こんにちは。初めまして。阪本工営スタッフです。
今日から観光地を紹介していく「阪本工営の観光地ブログ」を始めさせていただきます。よろしくお願いします。
今回お話するのは、西安市(せいあんし、中国語:西安市、英語:Xi'an)について。
西安市は中華人民共和国陝西省の省都で、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安ですね。国家歴史文化名城に指定され、世界各国からの観光客も多いとされています。経済的重要性から大幅な自主権をもつ副省級市にも指定されているのだとか。
かつては西都、西京、大興、京兆、奉元等とも称されたそうですね。古代より政治の中心地として西周から秦、漢から隋、唐の都城と十数の王朝の都として千年の歴史を有す古都だそうです。
1369年(洪武2年)、明朝は元朝の奉元路を廃止し西安府を設置、これが西安の名称の初見だそう。明末の李自成の反乱に際しては、西安に入城した李自成は一時長安と改称したそうですが、清朝により再び西安と改称され中華民国まで沿襲されたんだとか。1928年、西安に初めて市制が施行され省轄市としての西安市が成立したとのこと。1948年には国民政府行政院轄市に改編、中華人民共和国成立後は陝甘寧辺区轄市、西北行政区轄市、中央直轄市、計画単列市と改編が続き、1954年に陝西省都、副省級市となり現在に至っているそうです。
また、1898年の義和団の乱では西太后ら皇族が戦火の北京を逃れ西安に避難しているようですね。1936年には国共合作による日本政府への対抗を目指す張学良が蒋介石を軟禁した西安事件の舞台となった都市でもあるようです。
2004年、西北大学が日本人遣唐留学生井真成の墓誌を市内から発見して話題になりました。
西安市、行ってみたいですね。気になります。
では今日はこのへんで。阪本工営スタッフでした。

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